〈斎藤道三〉長良川の戦いと敗死

弘治2年(1556)4月20日の戦いと道三の討死は『信長公記』ほか複数史料で確認できる史実。兵力差(17,500対2,500)も同書による。一方、戦場で義龍の采配を見て「さすが道三が子」と評価を改めた件は物語的で諸説〜俗説。対立の背景も「父子不和」より「新参の道三路線対土岐以来の旧秩序」の政治対立とみる見解が有力。

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