岩屋城の玉砕

島津の大軍が筑前に攻め入ると、高橋紹運はわずかな手勢で岩屋城に籠り、再三の降伏勧告を退けました。数で圧倒されながら十数日を持ちこたえ、城兵はことごとく討ち死にしたと伝わります。この奮戦が島津の北上を遅らせ、豊臣の九州平定を助けました。息子は立花宗茂です。

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