〈朝倉義景〉一門筆頭・朝倉景鏡の裏切りで自刃した史実景鏡が義景を大野へ誘導し賢松寺で襲ったことは『信長公記』にも記される。景鏡は信長に降って「土橋信鏡」と改名したが、翌年越前一向一揆で戦死。義景個人の資質だけでなく、朝倉氏の「一門連合体制」の構造的脆さを示す事例とされる。関連朝倉義景