〈徳川家康〉神君伊賀越え

本能寺の変の際、堺見物中の家康が少人数で決死の帰国を果たしたことは『家忠日記』等から確実。穴山梅雪の落命も史実。ただしルートは不明で、実質「甲賀越え」説(藤田達生氏)もある。「伊賀者(忍者)の警護」は『伊賀者由緒書』(1726)初出で誇張の可能性が高い。

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