〈保科正俊〉武田二十四将の一人
江戸期の武田二十四将図のいずれの構成でも正俊は数えられない。二十四将自体が後世の絵画・講談による括りで、対象は主に譜代家老・親族衆。外様国衆の正俊は対象外だった。ただし二十四将常連の内藤昌豊の養子に三男・昌月を入れており、二十四将級の重臣と縁組できる家格・信頼を得ていたことは史実。「二十四将ではないが、二十四将の家と縁を結んだ国衆」が正確な位置づけ。
江戸期の武田二十四将図のいずれの構成でも正俊は数えられない。二十四将自体が後世の絵画・講談による括りで、対象は主に譜代家老・親族衆。外様国衆の正俊は対象外だった。ただし二十四将常連の内藤昌豊の養子に三男・昌月を入れており、二十四将級の重臣と縁組できる家格・信頼を得ていたことは史実。「二十四将ではないが、二十四将の家と縁を結んだ国衆」が正確な位置づけ。