〈荒木久左衛門〉その後の消息(2)高野山へ逃げ込んだ
荒木一族・残党が高野山に匿われたことは事実で、天正9年(1581)の残党探索をめぐる衝突が信長の高野山攻めに発展した(『信長公記』)。ただし匿われた残党の中に久左衛門個人がいたと明記する史料はなく、「久左衛門高野山逃亡説」としては俗説寄り。
荒木一族・残党が高野山に匿われたことは事実で、天正9年(1581)の残党探索をめぐる衝突が信長の高野山攻めに発展した(『信長公記』)。ただし匿われた残党の中に久左衛門個人がいたと明記する史料はなく、「久左衛門高野山逃亡説」としては俗説寄り。