〈高坂昌信(春日虎綱)〉第四次川中島 — 妻女山別働隊の大将

永禄4年(1561)9月に両軍が川中島で大規模衝突し、武田信繁・山本菅助らが戦死したことは書状類で確認できる。しかし「啄木鳥戦法」「別働隊1万2千」「妻女山夜襲」といった経過はすべて『甲陽軍鑑』由来で、同時代史料では裏付けられない。当サイトの川中島関連ページ全体の基調と同一判定。虎綱が海津城将として重要な役割を果たしたこと自体は確からしい。初出は『甲陽軍鑑』。

関連