〈松平信康〉服部半蔵は介錯できなかった
検使の服部半蔵正成が涙にくれて太刀を振るえず、天方通綱が代わって介錯した——初出は『三河物語』。両名が検使として二俣城に赴いたことは広く受け入れられているが、同書は大久保家の立場から書かれた回想録で、劇的な細部は割り引く必要がある。「鬼の半蔵も主の子は斬れなかったか」という家康の言葉は後世の増補。天方通綱は介錯を苦に出家し高野山に上ったと伝えられ、半蔵が江戸に建立した西念寺には信康の供養塔がある。
検使の服部半蔵正成が涙にくれて太刀を振るえず、天方通綱が代わって介錯した——初出は『三河物語』。両名が検使として二俣城に赴いたことは広く受け入れられているが、同書は大久保家の立場から書かれた回想録で、劇的な細部は割り引く必要がある。「鬼の半蔵も主の子は斬れなかったか」という家康の言葉は後世の増補。天方通綱は介錯を苦に出家し高野山に上ったと伝えられ、半蔵が江戸に建立した西念寺には信康の供養塔がある。