〈里見義堯〉氏康が「仁者必ず勇あり」と称えた
初出は三浦浄心『北条五代記』(寛永18年=1641刊)。北条旧臣の見聞記とはいえ成立は事件から約70〜100年後の読み物で、氏康自身の文書にこの評言は確認できない。ただし氏康が全力を尽くしても義堯を屈服させられなかったのは事実で、逸話が生まれる素地は十分にあった。
初出は三浦浄心『北条五代記』(寛永18年=1641刊)。北条旧臣の見聞記とはいえ成立は事件から約70〜100年後の読み物で、氏康自身の文書にこの評言は確認できない。ただし氏康が全力を尽くしても義堯を屈服させられなかったのは事実で、逸話が生まれる素地は十分にあった。