〈長野業正〉真田幸綱を庇護し、去り際に馬まで贈った
海野平の戦い(1541)で敗れた幸綱の上野亡命と長野氏(箕輪周辺)への寄寓は『加沢記』等の近世史料が伝え、一定の蓋然性が認められる【諸説】。しかし「武田へ去る幸綱を見逃し馬まで贈った」美談は幕末編纂『名将言行録』が初出クラスで、業正の器量を示す後世的脚色とみるべき。のちに幸綱が武田方として西上野調略を担った史実が、この逸話に皮肉な深みを与えている。
海野平の戦い(1541)で敗れた幸綱の上野亡命と長野氏(箕輪周辺)への寄寓は『加沢記』等の近世史料が伝え、一定の蓋然性が認められる【諸説】。しかし「武田へ去る幸綱を見逃し馬まで贈った」美談は幕末編纂『名将言行録』が初出クラスで、業正の器量を示す後世的脚色とみるべき。のちに幸綱が武田方として西上野調略を担った史実が、この逸話に皮肉な深みを与えている。