〈田原親賢〉1541年生まれ・道雪の弟との「取り替え子」

生年を確定できる一次史料はなく、学術的には「生年不詳」が正しい。「1541年生」は『信長の野望』等が便宜的に置いた設定値。また『立花遺香』には、紹忍が民間信仰により生家から出され戸次家の子(立花道雪の弟・鑑方)と交換されたという奇談が載るが、同書自身が「しかと承り得ず」と留保する伝聞で、年代関係にも矛盾が指摘される。初出は『立花遺香』(1916年刊本)。

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