〈真田守信〉「仙台藩改易の危機」だった
詮議を「寛文年間」とし「藩改易の危機」と紹介する記事があるが、主要資料は召し出し直後(寛永17年頃)の出来事とし、寛文10年は守信の没年であることから年代の混同とみられる。実際は詰問から弁明を経て不問という穏当な経過だったとみられ、「危機」は後世の誇張である。
詮議を「寛文年間」とし「藩改易の危機」と紹介する記事があるが、主要資料は召し出し直後(寛永17年頃)の出来事とし、寛文10年は守信の没年であることから年代の混同とみられる。実際は詰問から弁明を経て不問という穏当な経過だったとみられ、「危機」は後世の誇張である。