〈藤田行政〉「洞ヶ峠」で順慶と交渉した

一次史料上、伝五が赴いたのは大和郡山(および奈良・木津)であり、洞ヶ峠ではない。そもそも「順慶が洞ヶ峠で日和見した」という話自体が江戸期に定着した俗説で、実際に洞ヶ峠へ出たのは光秀の側、順慶は郡山城から動かなかったというのが通説。伝五と洞ヶ峠を結びつける話はこの俗説から派生した二次的な混同である。

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