〈加藤清正〉家康に毒饅頭で殺された

二条城会見の約3か月後という死のタイミングが憶測を生んだが、毒饅頭説の初出は後世の随筆『十竹斎筆記』。同時代の『当代記』は病死を示唆し、船中発病から言語障害・約1か月という経過からは脳溢血説が有力。そもそも清正は頼宣の岳父予定者であり、徳川方に動機の説明が苦しい。「毒殺の証拠はない」が学界の一般的見解である。

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