〈京極高次〉「蛍大名」と当時から呼ばれていた
戦国〜江戸期の史料に「蛍大名=京極高次」の記載は見つかっていない(国立国会図書館デジタルコレクションを用いたnote検証記事による)。明治〜昭和初期に「蛍大名」と呼ばれていたのはむしろ石田三成で、「蛍」は本来主に男色による出世を嘲る語だった。高次と結びついた確認可能な最古の例は1975年の『近江歴史紀行』(びわ湖放送)、次いで雑誌『歴史と旅』1981年1月号——いずれも出典の記載なし。1970年代以降に貼られた現代のレッテルと推定される。
戦国〜江戸期の史料に「蛍大名=京極高次」の記載は見つかっていない(国立国会図書館デジタルコレクションを用いたnote検証記事による)。明治〜昭和初期に「蛍大名」と呼ばれていたのはむしろ石田三成で、「蛍」は本来主に男色による出世を嘲る語だった。高次と結びついた確認可能な最古の例は1975年の『近江歴史紀行』(びわ湖放送)、次いで雑誌『歴史と旅』1981年1月号——いずれも出典の記載なし。1970年代以降に貼られた現代のレッテルと推定される。