〈片倉景綱〉政宗の飛び出した右目をえぐり取った
最有名の逸話だが史実性は低い。記録上の早い言及である『性山公治家記録』(17世紀末)からして「という言い伝えがある」と伝聞と断って載せ、江戸中期『明良洪範』で切腹覚悟の進言などの脚色が進んだ。政宗自身の回想録『木村宇右衛門覚書』にこの話は出てこない。そして1974年、瑞鳳殿再建に伴う政宗遺骨の学術調査では、右眼窩に器物による損傷・異常が認められなかった。後世の創作とみるのが穏当で、当サイトの伊達政宗ページと同判定である。
最有名の逸話だが史実性は低い。記録上の早い言及である『性山公治家記録』(17世紀末)からして「という言い伝えがある」と伝聞と断って載せ、江戸中期『明良洪範』で切腹覚悟の進言などの脚色が進んだ。政宗自身の回想録『木村宇右衛門覚書』にこの話は出てこない。そして1974年、瑞鳳殿再建に伴う政宗遺骨の学術調査では、右眼窩に器物による損傷・異常が認められなかった。後世の創作とみるのが穏当で、当サイトの伊達政宗ページと同判定である。