〈徳川秀忠〉お江が忠長を溺愛し、家光廃嫡を望んだ
春日局が駿府の家康に直訴して家光の世子が確定した、という有名な物語は『春日局譜略』等の後世史料が典拠で脚色の可能性が高い。福田千鶴はお江悪玉論・溺愛説自体を後世の創作と批判する。忠長への蟄居処分(1631)を下したのが父・秀忠自身であることは史実。
春日局が駿府の家康に直訴して家光の世子が確定した、という有名な物語は『春日局譜略』等の後世史料が典拠で脚色の可能性が高い。福田千鶴はお江悪玉論・溺愛説自体を後世の創作と批判する。忠長への蟄居処分(1631)を下したのが父・秀忠自身であることは史実。