〈徳川秀忠〉恐妻家で、お静と隠し子を隠し通した

公認側室ゼロ、お静(浄光院)の子・幸松(保科正之)を公には実子と扱わなかったことは史実。だが「お江が嫉妬深く妻を恐れて隠した」という恐妻像は後世の逸話集・随筆類が主な典拠で、同時代史料の裏付けは弱い。福田千鶴らは、大名に妻妾秩序の模範を示す必要やお江の高い出自への政治的配慮とみる解釈を提示している。

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