〈内藤昌豊〉「喧嘩両成敗は腰抜けの法だ」発言

近年のウェブ記事や通俗書で流布するが、確実な初出文献を確認できない(『甲陽軍鑑』本文にも該当箇所を特定できず)。甲州法度制定(1547)当時の昌秀は20代半ばの部屋住み的立場で、法度に容喙できる地位にあったかも疑わしい。出典を示せない逸話として俗説と明記する。

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