〈尼子晴久〉新宮党粛清は毛利元就の謀略 — vs 晴久主体説
「元就が偽の謀反情報を流し、晴久が乗せられて精鋭・新宮党を自滅的に粛清した」という謀略説の初出は『陰徳太平記』。近年は否定的で、同時期の江良房栄謀殺(こちらは元就の調略が関与)と関連づけた推測ないし創作とみなされる。実際の新宮党は別個の所領・権力基盤を持ち晴久の裁判権に介入するなど独立勢力化しており、粛清(1554年11月)後の所領直轄化から、晴久が主体的・計画的に断行した集権化政策とするのが現在の有力説(長谷川博史氏ほか)。ただし精鋭喪失が長期的な軍事力低下を招いたとの評価も併存する。