〈尼子晴久〉郡山城攻めは「経久の反対を押し切った」無謀な出兵

初出は江戸期の軍記『陰徳太平記』で、晴久を血気の若者として描く文学的演出とみられる。吉野健志氏の再評価(2001)以降、尼子方についた安芸国人(平賀興貞・安芸武田氏・厳島神主家ら)の救援のため出兵は避けられない情勢で、毛利攻めはその進路上の作戦だった、とする見方が通説化しつつある。采配も本陣移動で大内援軍の遮断を図るなど、言われるほど稚拙ではなかった。

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