〈武田勝頼〉勝頼は正式な当主でなく「陣代」だった
「家督は孫の信勝、勝頼はそれまでの陣代(名代)」という信玄遺言は『甲陽軍鑑』品第三十九にのみ見える。同時代文書では勝頼は「当国守護御屋形勝頼」と記され、竜朱印状の発給・同盟締結・寺社裁許など当主権力を全面的に行使しており、「陣代にとどまった事実はない」が学界の通説(平山優・丸島和洋・柴辻俊六)。ただし諏訪出自ゆえの正統性の脆弱さは事実で、『軍鑑』の記述はその家中意識の反映と解釈される。
「家督は孫の信勝、勝頼はそれまでの陣代(名代)」という信玄遺言は『甲陽軍鑑』品第三十九にのみ見える。同時代文書では勝頼は「当国守護御屋形勝頼」と記され、竜朱印状の発給・同盟締結・寺社裁許など当主権力を全面的に行使しており、「陣代にとどまった事実はない」が学界の通説(平山優・丸島和洋・柴辻俊六)。ただし諏訪出自ゆえの正統性の脆弱さは事実で、『軍鑑』の記述はその家中意識の反映と解釈される。