〈北条氏康〉「小田原評定」は氏康の失政?
慣用句の由来は天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際の氏政・氏直父子の代の話で、氏康の死から19年後。むしろ氏康が整備した評定衆(初見1555年、裁許状約50例が現存)は戦国屈指の先進的な合議機構だった。優れた制度の名が、滅亡時の逸話で不名誉な慣用句に転じた。
慣用句の由来は天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際の氏政・氏直父子の代の話で、氏康の死から19年後。むしろ氏康が整備した評定衆(初見1555年、裁許状約50例が現存)は戦国屈指の先進的な合議機構だった。優れた制度の名が、滅亡時の逸話で不名誉な慣用句に転じた。