〈伊達政宗〉白装束の小田原参陣・金箔の磔柱
「死装束で秀吉に謁見」は同時代史料に見えない。小林清治氏が『乙夜之書物』に記述ありと紹介した(1959)が、後の調査で当該記述が実在しないことが判明。髪を切って恭順を示した等の記述はあるが「白装束」は後世の脚色の可能性が高い。1591年上洛時の「金箔の磔柱」パフォーマンス譚も後世編纂記事で検証不能——「演出家・政宗」像を作った代表的逸話である。
「死装束で秀吉に謁見」は同時代史料に見えない。小林清治氏が『乙夜之書物』に記述ありと紹介した(1959)が、後の調査で当該記述が実在しないことが判明。髪を切って恭順を示した等の記述はあるが「白装束」は後世の脚色の可能性が高い。1591年上洛時の「金箔の磔柱」パフォーマンス譚も後世編纂記事で検証不能——「演出家・政宗」像を作った代表的逸話である。