〈小山田昌行〉高遠城で深手を負いながら戦い続けた
初出は軍記『甲乱記』。備中守兄弟が城門外に打って出て、七、八か所の深手を負いながらなお戦ったと描く。高遠城が唯一の組織的抵抗だったことから奮戦の骨格は蓋然性が高い。ただし「股に矢を受けながら奮戦」といった特定部位の負傷描写は、原文の「数か所の深手」が後世の読み物・講談で具体化・劇化された俗説とみられ、近世以前の初出を特定できない。
初出は軍記『甲乱記』。備中守兄弟が城門外に打って出て、七、八か所の深手を負いながらなお戦ったと描く。高遠城が唯一の組織的抵抗だったことから奮戦の骨格は蓋然性が高い。ただし「股に矢を受けながら奮戦」といった特定部位の負傷描写は、原文の「数か所の深手」が後世の読み物・講談で具体化・劇化された俗説とみられ、近世以前の初出を特定できない。