〈駒井政武〉山本勘助の仕官を記録した
『高白斎記』天文13年(1544)3月条に勘助仕官、天文18年(1549)正月条に高嶋城鍬立の記事があり、実在が疑われてきた勘助の最重要の手がかりとされてきた。だが仕官年は『甲陽軍鑑』と1年ずれ、竄入の可能性も含め評価が分かれる。「真下家所蔵文書」で「山本菅助」の実在自体は確定したが、『高白斎記』の勘助記事が原記録由来かは未確定(丸島和洋、2013)。
『高白斎記』天文13年(1544)3月条に勘助仕官、天文18年(1549)正月条に高嶋城鍬立の記事があり、実在が疑われてきた勘助の最重要の手がかりとされてきた。だが仕官年は『甲陽軍鑑』と1年ずれ、竄入の可能性も含め評価が分かれる。「真下家所蔵文書」で「山本菅助」の実在自体は確定したが、『高白斎記』の勘助記事が原記録由来かは未確定(丸島和洋、2013)。