〈服部半蔵〉神君伊賀越えの立役者
家康一行の脱出行自体と、その後に伊賀者が召し抱えられ正成に預けられたことは確かである。しかし正成個人の「説得・案内」の働きを具体的に伝えるのは、江戸中期の『伊賀者由緒書』など伊賀者側の由緒書類が中心。三重大学の藤田達生氏は、経路自体が伊賀をなるべく避け甲賀の和田から柘植へ抜けるものだったとし、由緒書の記述には8代将軍吉宗期の伊賀者の地位向上運動という背景があると指摘する。甲賀の和田氏・多羅尾氏ら地元土豪や茶屋四郎次郎の金銭工作の役割も大きく、功が「半蔵一人」に集約されたのは後世の語りの効果とみられる。