〈平岩親吉〉名古屋城築城の「総指揮」を執った
名古屋城は加藤清正・福島正則ら西国20家に課された天下普請で、普請奉行(滝川忠征・佐久間政実ら)は幕府側で別途任命されており、親吉が現場の「普請総奉行」だった意味では正確でない。一方、幼主義直(当時8歳)に代わり尾張藩政を一手に担う付家老・執政として、築城事業と清須越の受け入れを藩側の最高責任者として統括したのは事実。「藩側統括者としては史実、幕府普請の総奉行という意味では不正確」が正しい理解である。
名古屋城は加藤清正・福島正則ら西国20家に課された天下普請で、普請奉行(滝川忠征・佐久間政実ら)は幕府側で別途任命されており、親吉が現場の「普請総奉行」だった意味では正確でない。一方、幼主義直(当時8歳)に代わり尾張藩政を一手に担う付家老・執政として、築城事業と清須越の受け入れを藩側の最高責任者として統括したのは事実。「藩側統括者としては史実、幕府普請の総奉行という意味では不正確」が正しい理解である。