〈榊原康政〉関ヶ原に遅参した秀忠を命がけで取りなした

家康が秀忠との対面を拒んだ際、「責は軍監の自分にある」と諫めて父子の対面を実現させたという話。初出は新井白石『藩翰譜』(1702)など江戸中期の編纂物で、詳細な問答は後世の脚色を含む。さらに近年は家康の命令書から「秀忠の任務は上田攻略後の上洛であり、急な予定変更が遅参の主因」と判明しつつあり、「大失態」という前提そのものが再検討されている。

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