〈榊原康政〉秀吉非難の檄文と「首に十万石」の懸賞

康政の代名詞だが、同時代の書状・日記には見えない。初出は事件から約150年後の『武徳編年集成』(木村高敦、1741)と『榊原家譜』で、渡邊大門氏は「事実としては非常に疑わしい」と評する。編纂物の記述は「恩賞を望みのままに」であり、「10万石」という額は後世の講談・通俗書による付加とみられる(のちの館林10万石との語呂合わせか)。ただし徳川方が秀吉の出自を突く宣伝戦を行うこと自体は不自然でなく、「達筆で文才ある康政」像と結びついて成長した逸話と考えるのが穏当。

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