〈河尻秀隆〉徳川家康が一揆を扇動した

家康は6月5日から甲斐武士の帰属工作を指示し、12日以降は秀隆の所領を対象とする知行安堵状を発給——徳川の甲斐計略自体は同時代文書で明確に確認できる(平山優氏)。秀隆の疑念には十分な根拠があった。ただし「一揆そのものを扇動した」直接証拠はなく、一揆は殺された本多信俊の家臣の呼びかけで結集したとみられる。

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