〈河尻秀隆〉甲斐で圧政を敷き、武田遺臣を虐殺した
「略奪・放火の限りを尽くした」等の記事は『甲斐国志』『甲斐国歴代譜』など近世地誌にのみ見え、同時代史料では確認できない(平山優氏)。現存する黒印状はむしろ帰住呼びかけ・寺領安堵など安定志向の統治を示す。信長・信忠の苛烈な武田遺臣狩りが秀隆一人の責任に集約されたのが「圧政家」像の実態か。
「略奪・放火の限りを尽くした」等の記事は『甲斐国志』『甲斐国歴代譜』など近世地誌にのみ見え、同時代史料では確認できない(平山優氏)。現存する黒印状はむしろ帰住呼びかけ・寺領安堵など安定志向の統治を示す。信長・信忠の苛烈な武田遺臣狩りが秀隆一人の責任に集約されたのが「圧政家」像の実態か。