〈鈴木重朝〉元忠を討ったのは子・重次だとする記録諸説あり『藩翰譜』『水戸歴世譚』などはこの武功を子・重次のものとするが、1600年当時の重次は数え3歳であり成立しない。重朝の事跡とみるのが研究上の定説(鈴木眞哉1984)。父子とも「孫三郎」を称したことが混同を生んだ。関連鈴木重朝