〈鈴木重秀〉雑賀衆は「鉄砲傭兵集団」だった

数千丁規模の鉄砲保有と、報酬を得て各地の戦争に参加する傭兵的性格は、本願寺・織田双方の文書や宣教師記録から裏付けられる研究上の定説(鈴木眞哉『戦国鉄砲・傭兵隊』2004)。ただし雑賀衆は五組の緩やかな連合で、石山合戦でも宮郷など三組は一時織田方についた。「孫一率いる一枚岩の鉄砲軍団」像は俗説である。

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