〈穴山信友〉桶狭間後、今川氏真との同盟継続を確認した
同盟継続の確認自体は『甲斐国志』(江戸後期の編纂地誌)によるもので諸説どまり。一方、信友死去(永禄3年12月16日)の7日後に氏真から信君へ弔問状が送られたことは「楓軒文書纂」で確認できる史実。晩年まで今川外交の窓口だったことを裏付ける。
同盟継続の確認自体は『甲斐国志』(江戸後期の編纂地誌)によるもので諸説どまり。一方、信友死去(永禄3年12月16日)の7日後に氏真から信君へ弔問状が送られたことは「楓軒文書纂」で確認できる史実。晩年まで今川外交の窓口だったことを裏付ける。