〈遠山綱景〉娘婿・太田康資の離反に「監督責任」を感じた

康資の離反・出奔は永禄6年末〜7年の同時代史料で確実。だが「離反を見抜けなかった責任を感じていた」という綱景の心情を示す一次史料はなく、先駆けの動機として後世に推測された説。初出は軍記類の文脈である。

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