〈大道寺政繁〉「両属の咎」で切腹を命じられた

7月19日、氏政・氏照・松田憲秀と並んで開戦責任を問われ切腹したことは『家忠日記』等の同時代記録で確認できる。だが降伏して先導までした政繁が主戦派と同列に処断された理由は、(a)主家を裏切り敵を先導した「両属・不忠」を秀吉が嫌った、(b)軍監との対立と讒言、(c)北条旧臣の政治的粛清 — と諸説あり確定しない。近年は宿老層と当主層を対で処罰し「開戦責任は北条家中枢にある」と示した政治的論理とみる理解が一般的。

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