〈北条綱成〉信玄の「深沢城矢文」を黙殺して戦った
元亀2年(1571)正月、信玄が深沢城を攻囲し、綱成・氏繁父子が抗戦の末1月16日に開城したことは確実。金山衆による坑道掘削(俗に「もぐら攻め」)が決め手とされ、金山衆へ諸税免除の恩賞が出た記録もある。正月3日に射込まれたと伝わる「矢文」(降伏勧告状)は文面が伝存し著名だが、写しによる伝来であり、文言の真正性には検討の余地がある。
元亀2年(1571)正月、信玄が深沢城を攻囲し、綱成・氏繁父子が抗戦の末1月16日に開城したことは確実。金山衆による坑道掘削(俗に「もぐら攻め」)が決め手とされ、金山衆へ諸税免除の恩賞が出た記録もある。正月3日に射込まれたと伝わる「矢文」(降伏勧告状)は文面が伝存し著名だが、写しによる伝来であり、文言の真正性には検討の余地がある。