〈北条氏政〉御館の乱で弟・景虎を見殺しにした

景虎支援のため氏照・氏邦を越後へ派遣し、自身も厩橋城まで出陣したが、越後には入らず引き返した(冬の三国峠越えの困難もあった)。仲介を頼んだ武田勝頼は景勝と和睦して撤兵し、景虎は敗死。「判断ミス」と批判される一方、佐竹・宇都宮との二正面作戦の制約下ではやむを得なかったとの見方もある。

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