〈里見義弘〉「安房を義頼に、上総を梅王丸に」の分割遺言

義弘死去(1578)直後に義頼と梅王丸派(正木憲時ら)が争い、天正8年(1580)までに義頼が梅王丸を出家させて全領を掌握したことは文書から確実。だが「分割相続の遺言」の実態は不明確で、義頼側の事後正当化の可能性も残る。義頼の出自も弟説と庶長子説が対立し(近年は庶長子説が有力)、滝川恒昭は母=青岳尼説を提起。丸島和洋は北条氏政が公方の血を引く梅王丸を支援した可能性を指摘しており、内訌は対北条外交の路線対立でもあった。

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