〈阿蘇惟豊〉「両大宮司」の並立
甥・惟前が大永3年(1523)堅志田城に拠り、相良氏と結んで天文12年(1543)の落城まで対峙したことは城郭研究・地名辞典で確認できる。一方「惟前が『甲佐大宮司』を称した」「惟豊が娘を嫁がせ一時和睦した」という具体像は郷土史叙述(浜町史蹟めぐり(18-2))で諸説。
甥・惟前が大永3年(1523)堅志田城に拠り、相良氏と結んで天文12年(1543)の落城まで対峙したことは城郭研究・地名辞典で確認できる。一方「惟前が『甲佐大宮司』を称した」「惟豊が娘を嫁がせ一時和睦した」という具体像は郷土史叙述(浜町史蹟めぐり(18-2))で諸説。