〈蠣崎季広〉講和は季広の功績か、主君・安東舜季の主導か
『新羅之記録』は季広の事績として描くが、海保嶺夫氏(『エゾの歴史』)は舜季の「東公の島渡」(1550)直後に舜季立ち会いで成立した点から、檜山安東氏主導の領国秩序再編とみる。夷役=関銭の大半が安東氏に上納されていたことも、蠣崎氏がまだ徴税代行者だったことを示す。
『新羅之記録』は季広の事績として描くが、海保嶺夫氏(『エゾの歴史』)は舜季の「東公の島渡」(1550)直後に舜季立ち会いで成立した点から、檜山安東氏主導の領国秩序再編とみる。夷役=関銭の大半が安東氏に上納されていたことも、蠣崎氏がまだ徴税代行者だったことを示す。