〈安東実季〉朝熊蟄居の理由 — 4つの説

寛永7年(1630)の蟄居は史実だが、幕府は理由を明示していない。(1)戦国大名らしい気骨が幕府に忌み嫌われたとする説(『秋田大百科事典』)、(2)嫡男・俊季との不和説、(3)檜山系・湊系以来の家臣団対立説、(4)「失政」説(辞典類)——いずれも決定的史料を欠き、「詳細は不明」というのが学界の実情である。処分は改易ではなく、家督は俊季に認められた。初出: 幕府関係記録、『秋田家文書』。

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