〈白鳥長久〉娘を義光嫡男・義康に——婚姻同盟の申し入れ

天正12年(1584)、義光が「娘を義康の正室に迎えたい」と申し入れたとする点は複数系統の所伝が一致する(『最上記』『会津四家合考』系、郷土史)。だが婚儀が実際に成立したのか、単なる罠だったのか、一次史料では確認できない。娘のその後も不明——「わからない」と明記すべき典型例である。

関連