〈大崎義直〉義直は「最後の奥州探題」だった

そう紹介されることが多いが、義直期に探題として奥羽諸氏へ広域の権限を行使した形跡はなく、大永2年(1522)の稙宗の陸奥国守護補任で名目的優位すら制度上崩れていた。天文14年(1545)の左京大夫任官も歴代当主の官途を継いだもので、探題職の任命ではない。子の義隆を「最後の探題」と扱う記述もあり、「誰が最後か」は探題職の消滅時点の見方に依存する。「家格と官途は保持したが、探題の実態は義直の代にすでに失われていた」が正確な記述である。

関連