〈大崎義直〉義宣の入嗣は「大崎家臣団の懇望」によるものだった
稙宗は書状で「川内一党の頻りの懇望」により小僧丸(義宣)を入嗣させると説明した(『伊達正統世次考』巻8下所収の書状要約)。しかし実態は軍事力を背景とした乗っ取りに近いとみる見解が有力。入嗣時期も乱後の天文6年(1537)頃説(伊藤信氏)と乱以前の天文2年(1533)頃説(佐々木慶市氏、「旧川状」による)が対立し、確定しない。
稙宗は書状で「川内一党の頻りの懇望」により小僧丸(義宣)を入嗣させると説明した(『伊達正統世次考』巻8下所収の書状要約)。しかし実態は軍事力を背景とした乗っ取りに近いとみる見解が有力。入嗣時期も乱後の天文6年(1537)頃説(伊藤信氏)と乱以前の天文2年(1533)頃説(佐々木慶市氏、「旧川状」による)が対立し、確定しない。