〈北郷時久〉都城を伊集院忠棟に与えられた

文禄4年(1595)8月、文禄検地後の島津家中再編で、時久は約220年統治した都城から薩摩国祁答院へ移封され、都城には筆頭家老・伊集院忠棟が8万石で入部した。約6万9千石から3万7千石への事実上の大減封である。この再編は石田三成主導の豊臣政権による島津家テコ入れ策の一環で、「朝鮮出兵の軍役遅滞への懲罰」とする見方は研究上の解釈(諸説)。忠棟を「都城を奪った奸臣」とする描写は島津側軍記の色眼鏡であり、当サイトの伊集院忠棟ページと同じく諸説として扱う。

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