〈北郷時久〉伊東氏との長期抗争

父の守る飫肥への援軍、三俣院方面の争奪は都城市公式等が伝える大枠の史実。永禄11年(1568)の飫肥落城で豊州家は没落するが、木崎原合戦(1572)後に形勢は逆転し、「伊東崩れ」(1577)までに最大版図が完成する。個々の合戦の年次・経過は『庄内地理誌』『日向記』など編纂物間で異同があり、細部は諸説。

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