〈島津豊久〉父・家久の急死は秀吉方による毒殺だった

1587年6月5日の急死と、翌年の秀吉朱印状(979町)による豊久の相続は一次史料で確定。だが毒殺説は江戸期からの俗説で、秀長側近・福地長通の書状に発病が記されており病死説が有力。「義弘が豊久を実子同様に養育した」という通説も家譜由来で、近年は史料上の紐帯は限定的との指摘がある。

関連

〈島津豊久〉父・家久の急死は秀吉方による毒殺だった | デジタル城下町 お城図鑑