〈有馬晴信〉「日本のローマ」— 数万の信徒を守った

イエズス会年報は1580年代の有馬領の受洗者を数万規模と報告し、バテレン追放令後もコレジヨ・セミナリヨ・印刷所の避難先となったことは会側史料で裏付けられる。天正遣欧使節が持ち帰った活版印刷機が最初に稼働したのは有馬領・加津佐(きりしたん版)。ただし「数万」の数字と呼称の使われ方は諸説で、集団改宗は領主主導の「上からの改宗」だった。

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